捨ててしまいたい恋の話
お誕生日おめでとうございます!
エーン、もう何書いたら良いかわからないので頭の中に浮かんだことをそのまま書くことに決めました!
何一つエモくも深くもないついったらんどにはあまり載せなかった感情を整理したいと思います。
私にとってのゆんぎさんは宝物、宝物であり生きる理由である、断言できる。
毎日人間関係しんどい!人の目しんどい!これから何十年これ?はやく死にたい!の人間だった、なのにいまは明日のゆんぎさんを見たくて息してる。むしろゆんぎさんのために生きてる。
1回病院で「鬱なりかけ〜薬飲んで〜」って言われた時も少年団見てもなにも感じられなくなってたのに、毎日「あと1回でいいからゆんぎさんに会いたい、絶対に会う。ゆんぎさんも長く会いましょうって言ってたし」が頭の中にいてくれたおかげで今日まで命を繋いでます、命の恩人でもあります!
バイトも、将来オタ活がしやすいだろうな〜と思って選んだ看護の仕事の勉強も、必死に頑張っています(選択理由の頭の悪さ)。
ほそくさんのセンイルブログにも書いたんだけど私は2016年に防弾に出会ったにもかかわらずハマったのは2018年の夏。部活の合宿辛い(泣)体育館超暑いしマネなのになんで2時寝5時起きしなきゃいけないの?不条理すぎ。と大疲労してた時になんと無く見た友達の推しグルの動画。
それまで二次元オタクだった私は「エッッッ、なにこの頭白い人、ほそっ、あっ、眼鏡、、、死ぬ、、、クリティカル、、、ふ〜ん、メンバーの見分けしっかりつけたいならど〜ぷね、、、おけおけ、エッッッ、また髪の毛白、えっ、かっこよ、こんな人いた?死ぬ、、、」こんな感じに二次元みたいなゆんぎさんのビジュアルがストライクど真ん中でした、気持ち悪い。
全部の始まりはゆんぎさんですよ、始まりと終わりはいつも君だよ〜!言うてね、はい、ゆんぎさん、まず性格とかパフォ以前にビジュアルが好き。ほそくさんみたいなキャ〜ッ!系のビジュではなく、全てが終わる現実的に好きなやつ、わかりますか?(わかりません)
そして私の人生のターニングポイント2019年7月13日。
SYS静岡公演1日目ですが、自名義は落ちまくり詐欺に遭い、必死こいて公演1週間前に勝ち取った同行枠で参戦しました。
席運ないから天井2列目、スタンド上段(まじこれチョンモッチンのじみんさん照明邪魔すぎて半分しか見れんかった絶対殺すマンなった)みたいな席しか座ったことない私、スタンド下段のなかなか前の方に座りました。
死ぬほど見たかったDionysus 、頭がおかしくなった。夏のスタジアムで見ることを絶対に諦められなくて、このために必死にチケ探ししたみたいなとこはある。
どんどん最高なライブが進んで行って、とうとうSeesawの順番に。
「知ってるよ〜〜〜!ゆんぎさん上がってきてな、ドアも来てな、ガチャって開けて振り返るんよ、そしたらベルトコンベア、ヨッシャ!喉ぶち壊れるくらいでかい声で最後歌うぞ〜〜〜🎶📣」と思っていた私。
少しだけ降っていた雨、振り返るゆんぎさん、しっとりとおりる前髪、そこから覗く双眼。
ここで私の人生は終了した。
ほんとに自分から変な音がした。
意味がわからない音、めきょ、みしり、みたいな気持ち悪いやつ。終わったと思った。
ソース動画なくしたから詳しくは言わないけど結構前のサイン会のエピで「ゔう、この人はきっと私が持ってたさみしさを知ってる人なんだな、、、」して死にかけたこともあったけど必死に抑えて蓋をした感情がとうとう蓋を壊して溢れ出した、そんな感覚。
それが私の不毛すぎる片想いの始まりと幸せなオタク生活の終末。
心臓がバクバクして死にそうになりながらえぴふぁに、チョンモッチン、てぃあ、まいどろ、アンコールを過ごし、最後の最後、トロッコ周回の時間。
いつも上から見下ろして、名古屋のときなんてこっちに回ってすら来なかったゆんぎさんがほぼ私と同じ目線を通る。ただでさえバクバクしてた心臓が死ぬんか?ってくらい音を立てて、ゆんぎさんが少しずつ近付いてきた。
結末を単刀直入に言うとゆんぎさんの背中しか見られませんでした、他界。
同行させてくれた子がぐくぺんで、じょんぐくさんも最初後ろ向いてたけど最後の最後でこっちを振り返った。でもゆんぎさんはずっとアリーナの方を見てて、クソデカ声でなんで?って言った(言ってません)。
そんなこんなで最後ちょっと凹んで、凹みの最終地点、電車に乗れなくて駅で夜を明かすという最悪な状況の中、
私たちの音楽を聞いてくれてありがとうございます、夢をあきらめないでください。あなたは誰よりも輝きます。
これを見てひとりで駅で大泣きした(情緒)この人はどうしてこんなに優しいんだろう。
ゆんぎさんは世間一般の普通から外れて、自分の道を歩く大変さを知ってるからこの人の今抱えてるしんどさもわかったんだろうな。自分も辛い思いをしたからってこんなに他人に優しくできるものなのかな、わからない、でも私は絶対にできないと思う。
そしてその数日後、握手会があった。
ゆんぎさんの握手は当てられなかったけどじんさんと握手をさせていただいた。よりにもよって隣のブースがゆんぎさんだった。
「ゆんぎってすごく目を見てくれるらしくて〜、前に友達が握手したんですけど」みたいな話を聞きながらひとりで涙をこらえた。「ああの人たち今からゆんぎさんと握手するんか〜、そうかそうか」ってずっとモヤモヤしてた。
握手終わった後も「あ〜じんさんかっこよかった!!何あれ!!めちゃくちゃ顔小さかった!!幸せ!!……………同じようにゆんぎさんに幸せにしてもらった女もたくさんいるのか。」そんなグッチャグチャの感情になった。本当に嫌だったけど、この瞬間私のきらきら小さな宝石みたいだった愛は、恋って言う嫉妬に塗れたレプリカになっちゃったんだってハッキリ自覚して、また少しだけ死にたくなった。
それから2ヶ月後くらい、普通に学校に通って、古典の授業を受けた。
影をのみ 御手洗川の つれなきに
身のうきほどぞ いとど知らるる(晴れ姿を見たくて来たのに あなたの影だけを映して流れ去る御手洗川のようにつれないあなたが恨めしくわが身の不幸が身に沁みる)
私と同い年の子なら知ってるのかな、わからないけど、私の心にへばりついて離れない歌。
ずっとずっと昔の物語の中の女の人、この歌を詠んだ六条御息所の気持ちが痛いくらいわかって1人で授業中に泣いた(情緒)。
まあ六条御息所は光源氏と恋仲にあるので私の10,000歩くらい前を歩いているのは置いといて、私の前を他のアミたちに手を振りながら通り過ぎて行ったゆんぎさんのことが浮かんで、苦しくて苦しくて、あんなに大きな声でゆんぎさんの名前を呼んでいた自分が可哀想で虚しかった。
六条御息所、このとき自分を蔑ろにした葵の上と光源氏の間にできた子供を呪い殺してしまうらしい。愛憎、ゆんぎさんに憎の感情を抱くことは一生ないだろうけどなんだか悲しかった。
ゆんぎさんってとても優しいじゃないですか。
自分はあれだけ熱心に夢を追ってきて、今だって止まることなく一生懸命走ってる。
なのに私たちには夢を持たなくてもいいよ、仕事に大きな意味を持つ必要もない、負けてもいいよ、あきらめることだって勇気が必要だよね、おつかれさま。そんな言葉をかけてくれる。
夢を追いかける人たちには夢を諦めないで、夢を夢で終わらせないで、あなたの望む星は暗闇の中でのみ浮かぶことを忘れないで、そんな風に激励してくれる。
꿀FMで音楽は作れるけど良い音楽を作るのは難しいって言ってたのも私は大好きだし、映画の最後にまた音楽を作る人たちが出て来るからって楽しそうに笑ってて、同業者を目指す人たちに少し厳しいのもかっこよくて大好き。ほそくさんと同じで同じところを目指す人に妥協しない。
自分の実力に不安があれば俺は好きだよって言ってくれて、1人で泣かないようにしてくれる。誰よりも長く良い音楽を作り続けてきたゆんぎさんに俺はお前の作る音楽が好きだよって言われる以上に信頼できる褒め言葉ってあるのかな。
辛いことがあっても自分の中で処理して、全部が終わってから教えてくれるのもきっとゆんぎさんにとっての優しさだね。少し寂しいけど私たちはなにもしてあげられないからそれが1番良いタイミングなんだと思う。
私はゆんぎさんの背中に手を添えるような優しさが好き。ゆんぎさんの優しさはゆんぎさんの生まれたこの時期にぴったりだと思う。
まだ少し肌寒い時もあるけど冬に比べたらずっと暖かくて、上着がなくてもいいし、でも暑いわけじゃない。穏やかに暖かくて優しい、じんわり暖かい感じ。
私は子供の頃の思い出から男の人があんまり好きじゃなくて絶対に弱みを見せない、絶対に負けない!の人間だったけど、ゆんぎさんにだけは辛い時そばにいてくれたらな。そんな風に思えた人だった。
でも当たり前にゆんぎさんはいない、知ってる、わかってる。別にこれが恋って気付いたからどうしたいわけでもない、どうにもならないことも知ってる。
友達が彼氏欲しいって言ってる時私は別にいいや〜って言ったら「まあはるちゃんは幸せそうだけどオタクって逃げじゃん?」って言われた。
逃げ?こんなに辛いのに?生まれて初めて好きな人を思って1人で泣いた。逃げなのか普通の人から見たら、そうだよね、わかる、私も前はそう思ってたし。普通の人には理解してもらえないし真剣に受け止めてももらえない、そんな恋。恋と呼んでも良いのかもわからない。
別に応援してる!とか言われたいわけじゃなかった、言われるわけないし、でもやっぱり悪気はないし、私の気持ちを知らなくても面と向かってそう言われたのは結構メンタルにきた。
何回も何回も同じ国で、歳も近くて、一般人同士で出会えたらどんなによかったかって考えた。でもその度に私よりゆんぎさんと合う人はたくさんいるし、平等に1日与えられたとして、ゆんぎさんを楽しませることができる人が私以外にたくさんいるんだろうなって考える。私の好きは何も特別じゃないし私のことをゆんぎさんは絶対に好きにならない。
それに私が好きなのはどうしようもなくアイドルのゆんぎさんなのがしんどい!
誰よりも優しくて、いつも欲しい言葉をかけてくれて、音楽にまっすぐ向き合うところが好き、仕事人間なところが好き、ステージに立つことが好きなゆんぎさんが好き、人と目を合わせられないのにペンサではしっかりファンの目を見てお話を聞いてあげるところが好き、ラップ、ダンス、歌、ギター、いろいろな自分を見せていつまでも自分の芸の幅を広げようとしてるところが好き、いつも会場中のアミを見てくれるところが好き、アイドルでいるゆんぎさんの全部が好き、好きじゃないところがひとつもない。
ゆんぎさんって正直だ。
寒ければめちゃくちゃ寒い顔するし嫌な時は嫌な顔するし、明らかに盛り上がってる公演が好きだし、言葉が通じるから韓国公演が好きだし、静岡の時もこんな山の中に会場があるなんて、、、ってびっくりしてた。
正直言葉が通じて盛り上がる公演が好きって、え〜??日本は??大丈夫そう??するけど結局そういう包み隠さないところが好き。
私はゆんぎさんがSUGAもミンユンギも変わらないって言うんだったらそれを信じるし、私が見た楽しそうなゆんぎさんは全部ほんとだよね、ゆんぎさんがいつも正直でいてくれるからその言葉を信じられる。楽しそうな姿を見られるだけでオタクしててよかったって心から思うよ。
話は変わるけど私は別に少年団が大きな賞を取ることに重きを置いているオタクではない。たぶんそう言うオタクがほとんどだと思う。
自分たちがやりたい音楽をやって、公演をして、アミたちと一緒にいてくれたらいい、それだけで幸せだから。
だけどグラミーとかビルボード1位とかゆんぎさんはいつも上を目指した発言をするし、賞を取ってトロフィーを貰うと誰よりも嬉しそうな顔をする。その顔を見たいから賞を取れれば良いな、とはいつも思う。
2019年12月4日、MAMA。
汗をびっしょりかいて、トロフィーを見つめながらコメントするゆんぎさんはすごく幸せそうに笑っていた。この日も会った中で1番近かったはずなのにこちらを見ては貰えなかったけど、ゆんぎさんのあの表情を見れただけであの場所に行ってよかったと思った。
私が望むのは、いつでもゆんぎさんが嬉しい瞬間がたくさんあることだ。
ねえゆんぎさん、一生誰の物にもならないで。
私の物にならないのは百も承知だから、誰のところにもいかないで。
私は家族団欒ってものがよくわからない、今はもうそんなに気にしてないけど、ゆんぎさんがその幸せを手にした瞬間を目にしてしまったら私は生きていけないと思う。
でもゆんぎさんが1人で生きていくのは絶対に嫌だ。絶対に幸せでいてくれないと困る。
恐ろしい矛盾だけど、やっぱりゆんぎさんが幸せな方が大切なので男でも女でも誰でもいいから誰かと幸せでいて欲しい。
そしたら私はこの恋を捨てるから、静かにいなくなるから、ゆんぎさんのことが好きだしゆんぎさんの好きな物も好きになりたいけど、多分ゆんぎさんの好きな人までは好きになれないと思う。あるグループのファンみたいに、子供が産まれたりしたとき、おめでとうを伝えられる良いファンじゃなくてごめんなさい。
このブログ(?)はどちらかというといつも言葉にしてない暗い部分を主に書き出した物なので支離滅裂であまり良くない内容なのですが、私が普段ゆんぎさんから貰っている感情は90%が幸せなものです。
ゆんぎさんがいつも音楽に関われたらいいし、新しい趣味が見つけられたら良いし、色々探求してステージに活かせたらいいし、たくさん賞を貰えたらいいし、ゆっくり眠れて、美味しいご飯も毎日食べられたら良い、痩せなくてもいいよ。これからもうんちくたくさん披露してね、私は物知りな人が大好きだし、なにかを見た時にその起源とかルーツに興味を持つところ、一緒ですごく嬉しかったよ、また自分の中にしまってあることたくさん教えてね。
午後はリハビリって言ってたけど今日は早く眠れるのかな、みかんもケーキも食べて、今日は朝までぐっすり眠れますように。
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実はすごく明るくて楽しいことふざけることが大好きなところが私は大好きです〜!
ゆんぎさんがいなかった期間、今日もいない、空白を誰かが埋めるのは嫌だけど寂しい(泣)って毎回悲しんでたので絶対健康な1年にしてくださいね!約束!無理はしないでください!
最後に、誰よりも大切なゆんぎさん、生まれてきてくれてありがとう、私の人生に現れてくれてありがとう、毎日幸せでありますように。
おしまい